左足首の人工関節置換手術から1ヶ月が過ぎた。
退院時は、ギブスに松葉杖という”如何にも病人”然とした姿だったが、今ではギブスも取れて、補助的に杖を突いて歩ける程度にまで回復している。
とは言っても手術箇所の腫脹(切開部や骨切り部の炎症による血液成分の滞留が原因)はかなり残っており、まだ完治とは言えず”無理は禁物”なのは素人目にも確か。
一方、もう1ヶ月半近くも運動?をしてないので、脚の筋力も含めて身体の筋肉が相当鈍っており、ローラー台でバイクを漕ぎたい欲求が徐々に募って来ているのも確か。
身体を動かしたいと云う欲求と、手術箇所の状態がまだそれを許さないと云う現実。
この相反する事象のジレンマに、日々悩まされているこの頃の小生である・・・。
さて ” 天高く馬肥ゆる秋” で折角の良い日に、家に閉じ籠っていてもつまら無いので、家内を誘ってちょっとしたドライブに出掛けることにした。
行先は ”美濃の清水寺” との異名がある日龍峯寺。
先日、会社勤めをしていた頃の友人と久し振りに会い、喫茶店でよもやま話をしていた折に「京都の清水の舞台と同じ懸崖造り本堂の寺が関市にある」と聞いて、俄かに興味が湧き行ってみたいと思っていたのだ。
Google Mapで調べると、日龍峯寺のある場所は、関市と云っても地理的には美濃市の東方の山中。
美濃市へはライドでちょくちょく出掛けるが、その東側の山の中にそんな寺があるとはついぞ知らなかった・・・。
通常、美濃方面へライドする時は、専ら車通行の少ない裏道を走るが、今日は車なのでr-94を走って美濃へと向かう。
この道は、岐阜と美濃を結ぶ主要幹線の一つで大型車両も数多く通る。
「やっぱり自転車で走るにはリスクが高い道だなぁ」とついローディー目線で道路状況を観察しながらの行程となった。
美濃市に入り旧名鉄美濃駅舎前の信号を直進すると、此処からは初めて走る道。
Google Mapで粗方の道順は調べてあるし、念の為カーナビにも目的地を登録しているのでトンデモナイところへ行く心配は無い。
但しカーナビは時々明らかな遠回りを指示するので、基本はGoogle Mapで調べ頭にinputした道を辿るのが小生の走り方だ。(これは自転車で走る時も同じで、謂わば性癖みたいなもの)
しばらく走ると道は峠越えの上り坂、自転車だと多少キツそうだが、50mほどの標高差なので、脚に疲労を覚える前に峠のトンネルに着く感じ。
短いトンネルを抜けると其処からは津保川までの長い下りで、途中チョットした上りがあるが加速をつけて越えれば、全体的に快適な高速走行が楽しめそうだ。(帰路に同じルートを取ると長い上りにうんざりするかも?)
T字路を左に折れて、川沿いの道を1.5kmほど北上した所で、日龍峯寺への案内看板を右手に発見。
此処から道を左にとって、細い山道を3km上ると山門(仁王門)が見えてきた。
「ようやく到着だぁ」と山門前に車を停めるが、何と駐車場はもう少し先だった。
日龍峯寺は岐阜県内では最古の寺らしく、山中に散らばる各仏閣の古色蒼然たる佇まいには、幾時代もの風雪に耐えてきたこの寺の歴史の重みを感じざるを得ない。
中でも多宝塔は、あの尼将軍北条政子が寄進した伽藍とかで、鎌倉時代初期から数えて8百年余を経て、今も此処に現存すると思うと非常に感慨深いものがあった。
また ”美濃の清水寺” と異名される元となった本堂は、小振りながら確かに本家に似て いると言えなくもなく、江戸時代に再建された伽藍(北条政子寄進の本堂は応仁の乱に際して焼失)は、辺りの風景に溶け込むように、侘びた味わいを醸して其処に屹立している気がした。
七堂伽藍をゆっくりと観て廻った後、本堂に設えられた長椅子に腰掛けて一休み。
遠く美濃加茂辺りの市街地を眺めながら、山中の古寺を包む静寂の中に身を委ねて暫し安息の時を送る。
そう云えば先刻見た”山歩きガイドマップ”の看板に、此処の裏山に登ると御岳や乗鞍、白山が望見できるとあった。
足の具合が、以前の様に山歩き出来る程に回復したら、是非とも裏山に登ってこれ等の山を眺めてみたいものだ。
この寺のご本尊は千手観世音菩薩だから、御仏の業でご助力いただける様にお願いしておくことにしょっと・・・。
駐車場に戻って時刻を見ると午後1時ちょっと前、少し動いて小腹も空いたので、山を下って向かった先は ”道の駅 平成”
先の天皇が退位した際には、多くの来場者で賑わった(と以前ニュースが伝えていた)この道の駅も、ブームが去った今は「まぁそこそこの客の入り」といったところ。
食堂に入ってメニューを見ると ”シイタケ丼” が名物らしいが、小生はシイタケが苦手(嚙んだ時のムニュっとした食感がどうも・・・)なので、これはスルーさせて貰って飛騨牛コロッケ定食を注文。
出て来たコロッケは旨かったが、サイズが大きくちょっと食傷気味で「もう少し小振りにして飛騨牛の量を増やして貰いたかったなぁ」と小声で家内に愚痴た・・・。
「さぁ帰ろう」帰路は津保川沿いを下って関経由のルートにするかな?。