風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

悲しいなぁ

 

年寄りがあれこれ文句を言おうと、若者が行動しない限りは物事は動かないと重々承知しているが、このところの我が国の防衛に関わる事態推移を見ていると、国民の間での議論のあまりの少なさに「本当にこれでいいのか?」と腹立たしい気分になる。

 

今、政権与党が躍起になって推し進めようとしている軍事力の強化だが、その現時点での実力は世界第5位(軍事費では第9位)であり、脅威論の相手国であるロシアや中国の軍事力と比べても大きく見劣りするものでは決してない。

しかし、このまま政府の方針通りに防衛費が次年度以降5年をかけて大幅増額(現状GDP比1%→2%)されると、その金額は10兆円(国家予算額の1割弱)を超えることと なり、その結果日本の軍事費(当然軍事力も)は世界第3位に駆け上る。

これは誰が何と言おうとも軍事大国の様態そのもので、第2次世界大戦の惨禍を反省として76年前に制定された現行憲法の、非戦と平和希求の精神を大きく踏み躙るものに 他ならない。

 

古今東西の長い人類の歴史を鑑みても、軍事力強化の行きつく先は武力での威嚇とそのエスカレーションの果ての戦争であることは明らか。

あまつさえ、過去の侵略戦争で中国・朝鮮半島・東南アジア諸国に甚大な人的物的損害を与えた日本の軍事大国化は、それらの国との間に無用な軋轢を生むことは必定。

” 過去を反省しない日本 ”が名実ともに現実のものになりつつあるのは、日本人として とても悲しいことだ・・・。

 

さて、小生がロードバイクに乗り始めてから11年チョットになるが、それまでは専ら 山登りやテニス・ジョギングなどを楽しんでいた。

中でも山登りは若い頃に始めており、終生の趣味と思っていたが、50代も後半になって予期せぬ左足首の病(変形性足関節症)発症で次第に歩くのが辛くなり、足首に負荷のかかる行動は断念せざるを得ず”泣く泣くの心境”で山登りも諦めた。

しかし、3年前に脛骨の骨切り術、そして昨秋に足首関節の人工関節置換術を施術して貰った結果、数ヶ月ほど前から何とか歩ける距離も伸びてきた(まだ足首の不安定さは残る)ので、多少冒険的試みになるが山登りを再開してみようと思い立った。

 

行先は、いきなり奥美濃鈴鹿のような1000m級の山はどだい無理なので、岐阜市の 最高峰である百々ヶ峰(418m)にした。

多分4時間もあれば往復できる筈で、取り敢えずはこう云う低山で実績を積み重ねて、ゆくゆくは北アにまた登ることを目指したいと思う。

 

山行となればまずは道具の準備からと、前日に物置を漁ってザックや登山靴・ステックなどを引っ張り出してきた。

登山靴はイタリー製の革仕様で、使い古しではあるがそれだけに幾多の山行を共にした愛着のあるもの。

長年の放置で生えたカビを落としてワックスを塗り込みながら「また世話になるよ」と靴に向かって小さく呟いた。

 

百々ヶ峰の登山道は幾つもあるが「今の小生に合ってそう」と思えたのは、北側の尾根筋を登って西側の尾根筋を下る三田洞道の周回ルート、往路は少しきついが復路は多分楽が出来る。

準備を終え幅広の舗装道を歩きながら足の具合を確かめるが、登山靴が”少しグラつき気味”の足首をホールドして良い感じで「これなら今日の山行は大丈夫だな」と思えてチョット安心。

視線を上げて辺りを見回すと、晩秋の少しグレーがかった落葉林の風景が小生を優しく包み込んで妙な安堵感を与えてくれる。

「あぁ山っていいなぁ」長らく忘れていた感慨が脳裡に浮かんだ。

山道を歩むにつれて昔の感覚が蘇ってきた

九十九折れの山道を辿り尾根筋に出たがまだまだ先は長い。

ゆっくり歩を進めながら、昔とは違う歩速や足の運びに10数年のブランクを実感するも「これは仕方の無いこと、何れまた元に戻るさ」と独り納得した。

階段の道や露出岩の道と尾根筋の山道も一様では無い

ズ~ッと続く岩道で足場を選んで歩いていた時のこと。

バランスを崩して転倒しそうになり、何とか持ち堪えたまでは良かったが、ホッと一息のあと足元を見て左靴の異変に気付いた「ソールが取れてる・・・」

すぐ傍に剥がれたソールがあり経年劣化で取れた感じだが、ソール無しじゃ山道を歩けないので応急処置が必要だ。

靴紐と足首に巻いていたテーピングテープで、ソールを靴本体に固定して一応歩ける様にしたが「この靴もついに寿命かぁ」と思うと何だか悲しくなった。

北ア・八ヶ岳・奥秩父、数々の山行を共にした登山靴とも今日でお別れ「ご苦労さんでした、あと少し頑張って下さいよ」と靴に呟いた。

  ソールが剥がれた登山靴        応急処置で何とか歩ける様にした

一瞬「もう帰るかぁ」と思ったが、既に往路の2/3は来てるので「行くも帰るも大して変わらない」と先に進むことを決断。 

少し歩くと、左靴底に変な負荷をかけない様慎重に行けば何とかなると判ってチョットだけ安心し「成せばなる成さねばならぬだな」と意味は違うが独り合点した。

山頂へ向かう道からの眺望(御嶽山は雲に隠れて見えず・・・)

山頂展望台に着いた時は生憎の小雨交じりの天気。

晴れていれば濃尾平野の大展望が拡がり、名古屋市街地の向こうに伊勢湾も視えるが、今日は全体が霞んでいて眺望はイマイチだった。

しかしそんな時でも、雨雲の切れ間から朧げな陽光が差込んで、金華山岐阜市中心部が白く照らされる幻想的な風景を眼に出来たのは幸い。

自然というものは時に予測不能のことを起こして人を楽しませてくれるもんだ・・・。

大展望はお天気次第「こんな時もあるさ」と諦めるしかない

自然現象の妙をしばらく楽しませて貰った

展望台を後にして下山に入る。

ここからしばらくは尾根筋の緩やかな下り、落ち葉が絨毯の様に敷き詰められており、そのサクサクとした感触が脚に心地良い。

先刻の小雨も上がって、陽光が木洩れ陽となって降る中を独り行けば、つい鼻歌も口を突いて出る。

木洩れ陽は何故か気分を朗らかにしてくれる

ところが、少し急坂になった所で2度も足を滑らせ尻餅を突いてしまい、浮いた気分もそこまで、どうやら随分脚が弱っている様だ。

自転車に乗っているので脚力の衰えは左程無いと思っていたが、やっぱり山歩きで使う筋肉と自転車で使う筋肉は違う?みたい。

 

尾根筋から外れると本格的な下り。

道に岩の露出した箇所が多くなり、仮着けしたソールを剥がさない様に足元に気を配る必要があるし、脚の疲労もハッキリ判るほどになってきたので少なからず時間がかる。

昔は下りが”大得意”だったのに「今じゃぁこの様かぁ」と己が不甲斐なさについ愚痴が漏れるが、これが小生の今の実力と認めるしかない。

 

ゴールが見える所まで下りてきて最後の休憩。

視線の先、越美国境に近い山々は白く薄化粧し始めていた

ベンチに腰掛けて視線の彼方の山を眺めて和んでいると、小鳥(多分ジョウビタキ)が目前の木柵に舞い降りてきて、しきりに小生に何かを求めてる様子。

「あっ餌が欲しいのか」小鳥の求めは判ったものの、普段食べ物を持ち歩かない小生には、血糖値が下がった際に食べる羊羹ぐらいしか持ち合わせがない。

「食べるかなぁ?」と疑問に思いながらも小さく千切って木柵に置くと、小鳥は不思議そうにそれを見ていたが、やっぱり啄むことは無かった。

野鳥ってこんなに人に近づくものなの?

「ゴメンよこれしか無いんだ」と語りかけてしばらく無言で眺めていると、食べれる餌が貰えないのを察した小鳥は飛び去っていった。

「次来る小鳥にも同じ思いをさせちゃ可哀そうだな」そんな思いに急かされてベンチを後にした・・・。