風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

ビワイチ 走行編 1日目その1

 

先日、友人と話をしていてコロナの話題となった。

その彼が言うには「過日38℃以上の高熱が続いたので、掛かり付け医を通じてM病院 でドライブスルー方式のPCR検査を受けた。その結果は5時間ほどで判り、費用は4千円だった」とのこと。

幸い検査結果は陰性で、数日後には下熱して単なる感冒罹患と判ったらしい・・・。

こんなに簡単にコロナ感染が判別出来るのに「何故に行政はPCR検査の拡大に消極的 なんだ?」と疑問に思う。

巷には無症状の感染者が相当規模(東京都の調べでは感染判明者の2割が無症状)いるのに、そこにアプローチする対策が施されないというのは正直理解に苦しむ。 

各メディアも緊急事態宣言延長の是非を喧伝するより、今本当に必要な感染防止施策は何かを考えるベースとなる情報提供に努めて貰いたいものだ・・・。

 

さて、今日は5年前のビワイチの「走行編 1日目」のはなし。

 

居宅から琵琶湖までは45kmほどの距離。

車にバイクを積み込み米原駅に向けて出発、時刻はAM7:00チョット過ぎだ。

1時間後、米原駅前の駐車場に車を預け手早くバイクの準備を済ませると、まずは湖岸道路に向けて走り出す。

暫くは期待と不安が入り混じった変な気分だったが、湖岸道路(r-2さざなみ街道)に 出る頃には爽快な気分に変わった。

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r-2 さざなみ街道 (米原市入江橋)

天気は終日好天との予報で絶好のライド日和、琵琶湖を渡りくる微風がバイクを駆る 身体を優しく撫でてゆき心地良い。

この辺りの湖岸道路は平日でも車の通行が多く、路側帯の走行は緊張を強いられるので歩道を兼ねた自転車道を走りたいが、これもまた幅員が狭くて走り辛いため仕方なく 路側帯を北に向かって走る。

 

長浜は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が姉川の合戦の功で城持ち大名になってから造った歴史ある城下街。

琵琶湖に面して建つ長浜城(実は歴史博物館)を左に見て通り過ぎると並走する自転車道の幅が2.5mほどに広くなったので、路側帯の走行は止めてそちらを走ることにする。

これで暫くは、車と並走する緊張感から解放されて気持ちよく走れそうだ。

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湖岸道路に並走する自転車道

それから15分ほど走った頃だろうか? 路側帯を走ってきた2人連れのローディーが、 チェーン音を響かせて小生を追い抜いていった。

30km/hr超のスピードは出てるみたいで、どんどん後姿が小さくなっていく。

それを目で追いながら「狭い日本そんなに急いで何処へいく」と独り愚痴った。

先は長い「此処で気張ったら疲れてしまう」と自分のペースを守りながら走ること更に数分、自転車道の前方に2人連れのローディーの姿を認める。

どうも先ほどの2人連れとは違う様だ。

何か語らいながらユッタリと20km/hr前後のスピードで走っているので「コンニチハ、お先に」と声をかけて追い抜くことにした。

俊速に駆け抜けるのも友と語らいながらゆっくり走るのもどちらのビワイチも良し。

自転車で走る愉しさを体感出来るのであれば、走り方は人其々の選択・好み次第だ。

 

R-8との信号交差点を渡り、すぐに左折して賤ケ岳隧道への直線道を山側へと詰める。

此処は平坦なビワイチ走路に2つだけある登坂の一つだが、標高差は40m程度だから 疲れる間もなく隧道入口まで登れた。

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古色蒼然たる趣の賤ケ岳隧道(昭和初期建造)

400mほどのトンネルを抜けると、視線の先で3人のローディーが道端に停まっているのが見えた。

「こんな場所で休憩か?」と訝しく思って、通り抜け際に挨拶がてら頭を下げて左横をチラ見すると、何とそこには琵琶湖の絶景が拡がっていた。

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左手には奥琵琶湖の絶景が・・・

「なるほど此処は絶景ポイントかぁ」一瞬停まろうと思ったが、先客の手前引き返すのも気が引けた。

仕方ない「次に来た時は絶対停まって絶景を楽しもう」と心に決め、坂道を一気に駆け下った。

 

最初の休憩場所「道の駅 あぢかまの里」にはほゞ予定通りの時間に到着、脚の疲労は 全くないのでトイレを済ませただけですぐに出発する。

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色々な店舗が入る道の駅 あぢかまの里

まず向かうのは西側の山の中腹を貫く岩熊トンネルで、標高差60mの登坂だが此処も 傾斜は緩いので難なく登りきる。

これでビワイチ走路の登坂は2つとも終わった、登りが嫌いな小生には有難いが何ともあっけないと言えなくはない。

トンネルを抜けると1kmほどの長い下りで、スピードの出過ぎとパンクに注意しながらも快適に走る。

海津大崎への分岐は湖西線の高架をくぐって直ぐの三叉路「此処だな」と間違いない事を確認して左折した。

 

屋波の続く道を抜けて湖岸沿いの道に入ると辺りは静かな奥琵琶湖の風景へと変わり、そこを走る小生を優しく包み込む。

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静寂な雰囲気の奥琵琶湖           海津大崎へ向かう道

海津大崎の湖岸道は桜並木の名所で、その時期は花見客で混雑するらしいが、今は人影も無くただ湖岸をたたく波音とチェーンの動音だけが耳に心地よく届くのみだ。

海津大崎の突端を西側に回り込むと、マキノから今津・安曇川へと続くこれから辿る 長い湖岸線が視界に入るが、その先の比良山地の山々はうっすらと霞んでいて今日の ゴールの大津がどの辺りかなど見当もつかない。

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マキノから今津への湖岸線を望む

今更ながら琵琶湖の大きさに思いを馳せている最中「そうだ!今津と云えば琵琶湖周航の歌だなぁ」と急に思い出し、つい疎覚えの歌詞を口ずさむ。

「♪われは湖の子さすらいの~ 旅にしあればしみじみと~・・・・行方定めぬ波枕~  今日は今津か長浜か~・・・♪」 

 

マキノからは湖岸沿いに街並みを縫って走る旧街道へとハンドルを切る。

(旧街道と並走する風車街道:r-54と云うのもあるが、車の通行が多そうで気持ち良く走れないとルート選択から外した)

この道沿いには古びた商家や人家が軒を連ねており、その何か懐かしさを醸す風景の中を走っていくと、妙に気持ちが穏やかになっていくのを感じる。

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旧街道沿いの趣ある街並み(高島市マキノ)

人家が途切れた先は湖岸沿いの松並木の道、時折湖面に視線を投げながら25km/hrほどの巡航で進めば、少し汗ばんだ首筋が風を感じて心地好い。

しかし、この旧街道は残念ながら今津で終わり、この先は風車街道:r-333にルートを 変える。

 

風車街道は走り辛そうと勝手に決めていたが、今津から先の風車街道:r-333は予想外に好い道だった。

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r-333 風車街道(高島市新旭付近)

幹線では無いためか車の通行が少なく、しかも道路舗装が良いのでロードバイクで走るには持って来い、調子に乗って30km/hr超のスピードで走ること10数分、右手前方に 大きな風車が見えてきた。

「道の駅 しんあさひ風車村」に到着だ。

あまり疲れてはいないがまだ先は長い、無理は禁物と15分ほど休憩をとることにした。

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風車が小さいので何かおもちゃチック・・・

長くなるので今日はここまで。

続きは、次回の「ビワイチ走行編 1日目-2 」で呟きます・・・。

 

 

 

ビワイチ 計画編

 

花粉症の症状が出て「外遊び自粛」に入ってから1週間が過ぎた。

抗アレルギー薬を服用しているので症状は小康を保っているが、マスクをしないで屋外へ出ると鼻がグズグズしたりクシャミが出たりするので、やはり鼻粘膜で抗原抗体反応が起こっているのは間違いない。

小生の歳だとそろそろ免疫力が落ちて来る筈だが、一向に花粉症から脱出できないので「免疫系だけはまだ老化してない証拠だな」と変に自分を慰めるしかない毎日だ。

 

さて、そんな次第で何処へも出掛けられない不幸を嘆きつつ、今日は「ビワイチ」の話でもしようと思う。

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サイクリストの聖地碑

小生はこれまでにビワイチを3回(近いのに少くなッ!)している。

1回目は5年前で、走路を前半と後半に分けて2日で約200km(北湖と南湖)を走った。

2回目はその翌年で、琵琶湖大橋でショートカットする北湖一周(約160km)。

3回目は一昨年で、ようやく琵琶湖全周(北湖と南湖)を1日で回った。

去年は色々あって走れなかったので、今年は4回目を夏ごろに計画しようと思っているが、果たしてどうなることやら・・・。

 

普段ライドに出掛ける時は、単に行先を決めるだけでルートなどは行き当たりばったりのことが多いが、ビワイチをするとなるとそんな好い加減なことではいけないと云う ことで、初めての時はまず走行ルートを決めることから始めた。

ボッチローディーである小生の場合、誰かに道案内を頼める訳でもないのでルート調べは重要だ。

Netで関連情報を検索したりYouTubeで動画を観たりして予備知識を蓄えてから、いよいよGoogleMapで走路の検討に入った。

 

琵琶湖は湖岸沿いにほゞ道が設けられているのでルートは選び易く、分岐に注意すれば走路を間違える心配は無さそうと判ったので、基本この湖岸沿いの道を辿ることで走路を決定した。

しかし、誰もが「とても走り難い」と悪評判のある堅田から唐橋までの大津市街地に ついては、湖岸沿いのR-558ルートは採らず山側の湖西線高架下の間道を走ることに した。

悪評の道を走る義理は無いので、少し遠回りでも「快適に走る」を優先して、車通りの 少ない道を選んだのがその理由。

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湖岸沿いに左回りで一周

 これで大体の走行ルートは決定、あとは実際に走って必要ならその都度若干修正する だけという訳だ。

 

しかし、ロードバイクを始めて4年ほど、本格的に走る様になって2年足らずの当時の 小生には、200kmの距離を1日で走り切る自信は全く無かった。

そこで行程を2日に分けて、1日目は米原から左回りで大津までの約120km、2日目は 大津から米原までの約80kmを走ることにした。

米原を起点に選んだのは勿論JR東海道本線での輪行に便利だからだ)

 

続いて検討したのは1日目と2日目の行程詳細案。

小生の脚力(当時)だと、Ave23~24km/heのスピードで1時間半ほど走り、小休憩を 挟んでまた走る繰り返しなら多分大丈夫と思われた。

そこで作ったのが次の走行計画だ。

1日目:米原駅 ⇒(35km)⇒ あじかまの里 ⇒(32km)⇒ しんあさひ風車村 ⇒(34km)⇒ 

    8:30      10:00  10:15      11:35    11:50 

    琵琶湖大橋米プラザ ⇒(18km)⇒ 大津駅

    13:20  (昼食) 14:20      15:10   

2日目:大津駅 ⇒(32km)⇒ 鮎やの里 ⇒(34km)⇒ 滋賀県立大前 ⇒(12km)⇒ 米原駅

    9:00     10:25  10:40      12:10  12:25      13:00

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白髭神社

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木浜湖岸緑地付近

検討の最後は持ち物のリストアップ。

走り出して忘れ物に気付いても仕様が無いので、チェックリストを作って出発前に確認することにした。

バイク:Corratec CCT(当時はこの1台しか無かった)

持ち物:ビンディングシューズ・サイコン・フロントライト・予備チューブ(2本)

    携帯ポンプ・タイヤレバー・携帯工具・グローブ・ヘルメット・サングラス

    ウォーターボトル・財布・健康保険証・スマホ・ウエア・着替え・タオル

    ワイヤーロック・輪行袋・リアエンド金具・軽量リュック

「よぉーし、これで準備は万端整った」あとは現地に着いて走り出すだけだ。

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次回は「ビワイチ 走行編 1日目」です。

   

続 中国のおもいで

 

ここ数日来の事だが鼻がグズグズする様になった。

寒暖差アレルギーかも知れないが、スギ花粉の飛散量は「非常に多い」のレベルらしいから花粉症の症状が出始めたとみるのが妥当だろう。

と云うことは、これから4月初旬頃までは外出自粛となるので、当然バイク遊びも封印せざるを得ない。

「仕方ないなぁ」と諦めて、ひたすら耐える生活を始めることにした・・・。

 

という訳で、今日はずーっと以前に話した「中国のおもいで」の続きを呟こう。

25年ほど前に中国の江蘇省蘇州市に4ヶ月余り滞在し、多くの現地の人たちと知己を 結んだ事や自転車を駆って市内の名所を観光した事は前に話したが、今回は上海や南通などの近くの街を訪ねた際のおもいで話だ。

 

勤め先が現地に設立した法人の立上げ時技術サポートのために蘇州に滞在するように なって1ヶ月ほど経ったある日、日本人総経理(社長)が傍に来てこう言った。

「明日、上海で商社関係の人と打ち合わせがあるんだけど同行しない?」 

商社関係者との打合わせに同行?「それって俺の仕事の範疇じゃないけどなぁ」と一瞬思ったものの、すぐにその意図を理解した。

「なるほど、俺を誘うということは、たまには上海観光でもして息抜きをしたらということか・・・。」

手前勝手に判断し、あえて断る理由もないので同行することにした。

 

翌日、1台しかない社用車(確かホンダアコードだった)に乗って出発、蘇州から上海までは80㎞ほどの距離である。

当時すでに蘇州と上海を結ぶ高速道路は開通しており、馴染みになった中国人運転手はそれを使うかと思ったが、どうも下道を行くらしい。

未だ自家用車を持つ人など殆どおらず、庶民の普段の足はバスか自転車という時代。

タクシーは郊外の一般道を80km/h以上のスピードで走っていた(勿論スピード違反で後部座席に乗る身としては事故が起きないか気が気でなかったが)ので、高速道路を 走っても時間は大して変わらないのが実情だった。

※高速道路と云えば、自家用車が少ないから当の高速道路はガラ空き状態で、ある時 何処から入ったか?リヤカーを取り付けた自転車が、そこを平然と走っていたのを見た時にはタマゲタ。

 

蘇州の街を出て郊外を行くと、この辺りが広大な長江デルタの一部だとよく分かる。

琵琶湖の3.5倍もある太湖と世界第3位の大河長江(揚子江)に挟まれていたるところに湖沼があり、その大いなる恵みを受けて田畑が広がる風景はいかにも中国らしい長閑さを感じる。

 

田園の中に点在する各集落を繋ぐ道を走ってある大きな湖のほとりで車は止まった。

この湖は?と聞くと陽澄湖という答え、知らないなぁーという顔をするとすかさず教えてくれた。

上海蟹を食べたことがあると思う(実は小生食べたことが無かった)けど、あの蟹はここで養殖されたものが最上品で、国内は基より海外にも輸出されている」と云うことだった。

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網の中には上海ガニがいっぱい(陽澄湖)

改めて湖を見つめると、湖水は透明度なく緑色に淀んでいて「ここで養殖したものがねぇ」という感じだが、そう云えば浜名湖のウナギも同じ様な濁った池で養殖されていたなぁと思い起こした。

多分この濁った水質こそが養殖蟹の旨さを決める重要な要素なのだろう。

 

上海での商社関係者との打ち合わせ場所はあるホテルのロビー。

広々とした庭を擁した洋館づくりのアンティークな建物で、戦争前はフランス資本の ホテルだったが、戦後は中国政府が接収して国営ホテルとして今に至っているという 事だった。

打ち合わせの方は総経理に任せ、小生はロビーの椅子に凭れてコーヒーを飲みながら 館内を眺める。

この壁やその天井が中国の激動の時代をくぐり抜けて来たのかと思うと、その時代を 知らずとも何か感慨深いものがあった。

上海に残る戦前からの建物としては、観光名所にもなっている外灘(バンド)地区の 洋風建築群が有名だが、その他にも戦火や騒乱を免れて生き残った建物が各所に点在 するのを知る人は少ない。

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外灘に残るノスタルジックな建物群

打ち合わせが終わって軽く昼食を取ろうと向かったのは豫園。

社用車はすでに帰していたので、タクシーで移動しながら上海の街並みや人々の様子を観察する。

鄧小平の改革開放で市場経済に舵を切ってから15年余、眠れる獅子中国がようやく目を覚まして動き始めた時期であり、その経済成長の証左として街中のいたる所でビル開発の槌音が響き、行き交う人々の表情も明るかった。

 

中国人の貴金属好きは多くの人の知るところだが、豫園近くの貴金属店が集まる一角 ではどの店もそこそこ賑わっており、こんな所にも庶民の懐事情が良くなっているのが覗えた。

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豫園商城近くの貴金属店

そんなある貴金属店の店先の路傍、人通りが多い中で一人の青年が縁石に佇んでいた。

青海省orチベット自治区から来たと思われる格好の青年の前には1m四方の布、中を覗き込むとどうやら漢方薬で、自ら採ってきたものを並べて売っているらしかった。

名前も良く知らない草木の根や果実などの植物性生薬、何か動物性らしい生薬等々の 並んだ列を目で追うと「あった!冬虫夏草」、何かの幼虫の身体を突き破って伸びる キノコの子実体は写真で見たのと同じだが、その干からびた現物を見るのは初めての ことだった。

興味はあるけど勿論買う気はないので、申し訳ないけど「Bu mai:買わない」と伝えてその場を離れた。

 

豫園は庭園の名前で、隣接する小売店の集まった地域を豫園商城というが、昼食はその中の南翔饅頭店で小籠包を食べる事にしていた。

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賑わいを見せる豫園商城         小籠包を買い求める人達

南翔饅頭店は、今では日本にも支店を持つほどに有名になったが、当時は未だ海外に 名を馳せるほどでは無く、上海市民の間では隣の緑波廊は海外観光客が訪れる高級店 だが、南翔饅頭店は店先で気軽に小籠包が食べられる庶民の店という位置付けだった。

店先で買い求めると9個入り10元(140円)ほどだが、店に入ってテーブル席で食べる と値段が数倍に跳ね上がるというので、庶民は専らテイクアウトだったが、普段は行列にきちんと並ばないはずの人達が、ここでは列も乱さずに並んでいたのを豫園商城の 賑わいと共に思い出す。

小生らは流石に外で食べる訳にはいかないので店に入り、食べたのは蟹入りと豚肉入りの2種類の小籠包だったような・・・。

 

昼食を済ませた後は古い町並みの残る路地裏を抜けて外灘まで歩いた。

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豫園近くの路地裏風景

現在の外灘は、黄浦江を挟む対岸浦東地区に東方明珠電視塔や上海環球金融中心等の 高層ビル群が林立しているが、当時は未だそれらは建設されておらず、ただ中低層ビルに交じって、日本の森ビルが開発を請け負った高層ビルだけが、建設途中ながら他を 圧してその威容を誇っていた。

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往時の浦東地区              現在の浦東地区

日本は、この頃バブル経済の終焉を迎え長い低迷期に入ろうとしていたが、反対に中国はあらゆるものを吸収して大きく羽ばたこうとしていた。

今から思えば、あの外灘から見た浦東の風景が、正にそれを如実に表していたと思えてならない。

 

 

長江(揚子江)観光に出掛けたのは蘇州滞在3ヶ月を過ぎた頃、現地社員も誘って総勢 6人の和気あいあいプチ社員旅行みたいな感じだった。

 

蘇州から北東に60㎞ほど行くと長江の雄大な流れに突き当たる。

そこからフェリーに乗って対岸へと渡る(今は長大な橋(蘇通長江公路大橋)で対岸(南通市)に容易に渡れる様になったらしい)訳だが、生憎の黄砂で8㎞程先にある 筈の対岸は全く見えない。

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黄砂に煙る長江の流れ           長江に架かる橋(現在)

黄砂と云えば日本人の多くは空が薄黄色に霞む程度と思っているが、小生がむかし西安で遭遇した黄砂はそんなものではなかった。

西安の観光地を物見遊山でそぞろ歩きしていた時、急に強い風が吹き出しそれまで陽が射していた空がにわかに曇りだした。

「雷雲でも近づいてるのかな?」と思ったがどうもそうではないらしい。

風はどんどん強くなり辺りも日没後の様に暗く数十m先の視界が効かなくなって初めて気が付いた「黄砂だ」。

嵐の様な黄砂は1時間ほどで治まったが、自然の猛威を改めて知った出来事だった。

蘇州辺りは黄土高原から1,000㎞以上離れているが、西安ほどでは無いにしても黄砂が 飛んでくると空は曇って暗くなり視界も相当悪くなった。

 

フェリーは1,000トン程度と小さいが、人と荷物や車を満載して重いエンジン音を響かせてゆっくりと離岸した。

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フェリーで長江を渡る

船上で長江の濁った流れを見ながら物思いにふける「何千㎞と旅したこの水は海へと 至りやがて雨となって元へと戻る、循環端無きが如し・・・この命何をあくせく明日 をのみ思い煩う・・・か」

 

30分ほどでフェリーは南通市の岸壁に接岸、田園風景が広がる長閑そうな街だ。

車に乗り換え田園内の道を市街地に向けて走っていると、前方に何やら黄色いものが 道いっぱいに散らばっている。

何か事故でもあったのかと減速して近づき、初めて黄色いものの正体が穀粒の付いた 稲穂だと分かった。

どうやら車で轢かせて脱穀をする心算らしい。

何ともまぁ大らかというか合理的というか、細かなことには拘らない大陸的気風を垣間見た気がした。

 

市街のレストランで昼食を摂った後に向かったのは狼山という名所。

中国に12ある有名な仏教聖地の5番目に上げられ、山の上に1400年の歴史を持つ仏教 寺院が建つ如何にも中国らしい景観のところだった。

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江南の有名な景勝地:狼山

眼下を長江が流れており、遠くまで見渡すことが出来るというので、標高100mほどの山上まで続く石段を期待しながら登ったが、やっぱり黄砂の影響で視界が効かず期待は失望に変わった。

 まぁ仕方がないこれも日頃の不信心のなせる業と、抹香の匂いの立ち込める仏閣の前で仏さまにお詫びした次第である。

 

 

 

追い風と向かい風

 

SNSが人々の行動に深くかかわる時代である。

これを上手く利用した者が時代の寵児になれるが、そこには虚実ないまぜになった危うさが付きまとうというのは、多くの人の知る所だろう。

しかし、SNSを通じて流される情報の嘘を事実と誤認してしまう人々が少なからず居ることも確かで、それが場合によっては社会を不安定化させる一因となっている。

小生とて「嘘情報に惑わされてはいない」と断言する自信は無いので、情報過多の中で正しい情報を選び取ることの難しさを痛感せずにはいられない。

それにしても、今も続く米国の混乱を傍観者として見てると「アメリカ人よ早く理性を取り戻せ」と呼びかけたくなる・・・。

 

さて、今日は木曽川から長良川へと回る周遊ライド、昼から予定があるので距離は45kmくらいと少なめにした。

バイクは1か月半ほど乗ってなかったLapierreを準備して出発。

久し振りに乗るからだろうか?妙に目線の位置が高い気がするが、サドル位置を変えてはいないので単なる気の所為と自分に言い聞かせる。(どういう具合か判らないが時々こんな錯覚を覚えることがあるのだ)

 

5分ほど走ると次第に身体がバイクに慣れてきた。

木曽川に架かる尾濃大橋に向かってバイクを駆ると、北西からの4~5m/sの少し強めの風が背中を押すので、ペダルを漕ぐ脚に力を込めなくても27~28km/hrのスピードを 容易に維持して走ることが出来る。

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滔々たる木曽川の流れ(尾濃大橋より上流を望む)

「剛脚とか健脚とかいわれてる人達はいつもこんな感じで走ってんだろうな」と勝手 に想像して羨んでみたが、所詮それはかなわぬ望みだ「俺の力量ではどだい無理だな」と諦めた。

だけど「この風、帰りは嫌だなぁ」と風に向かって走る辛さを想い出し少しネガティブな気分になったのは老化の所為だろうか。

 

尾濃大橋からは、木曽川左岸の河川敷に設けられたサイクリングロードを尾西グリーンプラザまで走ることにする。

いつもは堤防道路を走ることが多いが、路側帯が狭く緊張が強いられる道なので、今日は「走りたくないなぁ」との気分が勝ってサイクリングロードへとハンドルを切った 次第だ。

 

しばらく行くと緑地公園の草地にテントが数張りあるのを視線が捉えた。

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公園の広場になんとテント群が・・・

「此処ってキャンプを許可されてるの?」ってお節介に思ったが、どうも泊まった様子は無くキャンプ気分を味わってるだけの様だった。

寛いで折畳みチェアーに座る人達を横目に見ながら「本当にキャンプ流行りだなぁ」と独り呟く。

今の流行は、子供の頃に親とキャンプを楽しんだ経験を持つ団塊ジュニア世代での人気とSNSでの情報発信に負う処が大きいといわれているが、その範疇に入らない小生も「ヒロシのボッチキャンプ」なる番組を時折TVで観たりして昔を懐かしんでいる。

懐かしむと言っても小生のキャンプはキャンプ場のそれではなく、山での露営なので チョット趣が異なるが、自炊しながらテント泊するのだから大きな違いは無いだろう。

眼を閉じて思い起こすと、10月の涸沢の凍える寒さや、30kg超のリュックを背負って 疲労困憊しながらも愉しく縦走した南アの情景等々を今も鮮明に想い出す・・・。

 

尾西グリーンプラザ前でサイクリングロードは終わり、ここから先は馬飼大橋まで堤防道路を走ることになる。

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木曽川左岸堤防道路(一宮市尾西付近)

幸いにしてこの堤防道路は車の交通量がグーンと減るので安心して走れるのが嬉しい。

風は右後方からの追い風で、巡航速度を保ちながらも周囲を眺める余裕ある走り、視線の先の養老山地の青い山並みが徐々に大きく近付いてくる。

 

15分ほど走り馬飼大橋の袂で信号停止、ここから木曽川右岸に渡って木曽長良背割堤 北詰に向かおうと橋に入った途端、正面から風が吹き付けてきた。

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木曽川大堰として水資源管理機能も兼ねる馬飼(頭首工)大橋

「やっぱり強い風だな」追い風の時は感じなかった風速も向かい風となると実際以上に感じる。

これまで楽をしたんだから仕方が無いと諦めたいが、風の抵抗に遭うとついそれを恨みたくなる、人間は自分本位の勝手な生き物だ。

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木曽川左岸を背割堤に向けて走る

背割堤北詰まで走ると、今度は道を右に折れ戻って長良川左岸堤防道路に入る。

風はほゞ正面から吹き付けてくるが、道はこの先で右に緩くカーブするのでやゝ横風になって抵抗は減る「少しだけ辛抱しよう」と呟いてチョットだけ前傾姿勢を強めた。

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向かい風の中を長良川左岸堤防道路を上流に走る(羽島市桑原付近)

風に向かって5kmほど堤防道路を走って来たが、ギアを軽めに落として80rpm前後の ケイデンスでクランクを廻してきた所為か、次第に脚に疲労が蓄積してきた様だ。

「時間もあるしチョット休むか」とこの先の運動公園で最後の休憩をとることに決め、河川敷に敷設された管理道路に降りると、風は随分と弱まった気がする。

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長良川上流に向かって8km余り続く河川敷の道

「これなら堤防道路を走るより楽かも知れない?」福寿町まで続くこの道を走ることに変更するとして、まずは休憩場所までとペダルを踏む脚に力を込めた。

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運動公園の脇にバイクを停め最後の休憩

ベンチに腰掛けて10分ほど休憩したのち出発。

風の抵抗を受けてあまりスピードは出せないが、此処からなら30分くらいあれば居宅に帰り着けると踏んだ・・・。

 

 

 

美濃方面へ

 

小生の住む地域では2月中旬頃からスギ花粉の飛散が始まるとニュースが伝えていた。

「今年も嫌な季節が始まるなぁ」花粉症キャリア30年以上の小生にとって春は無くてもいい季節、駆け足で過ぎ去って欲しいといつも身勝手ながら思う。

今年は花粉の飛散量が多いらしいから、2月一杯で外出自粛(COVID-19対応じゃなく)となるかも知れない「あと3週間ってとこだな」と外を見ながら呟いた。

今日は日中の気温が14℃くらいまで上がるということなので、久し振りに山手方面へ ライドすることに決めた。

 

身支度を済ませて次はバイクの準備に取り掛かる。

「そうだなぁしばらく乗ってないLapierreにするか」タイヤの空気圧を少し柔らかめに調整し、サイコンをセットして電源を入れる・・・「あれッ液晶表示が出ないぞ?」 もう一度電源スイッチを押すがやっぱり表示は出ない「ちッ、バッテリー切れか」

仕方ないのでバイクを替えることにし、今度は数日前に乗ったDe Rosaを準備する。

タイヤの空気圧を調整し、De Rosa用サイコンをホルダーにセットして電源スイッチを入れると、「嘘だろ?」何とこれもまたバッテリー切れだった。

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 Lapierre用サイコン             DeRosa用サイコン

何か不吉な予感「出掛けるなとの警告か」とガラにも無く思ったが、こんなことは往々にしてあると理性的にそれを否定し、Varacan Special用のサイコンを確認すると、これはバッテリー残量少なめだが今日1日は持ちそうだった。

それにしても、出掛ける段になってサイコンのバッテリー切れに気付くなんて、我ながら飛んだお笑い種のマヌケな話ではある。

 

出発前のドタバタはあったが、何とかVaracan Specialでライドに出ることが出来た。

行先は山手方面(北西~北東)だが、実際の選択肢は揖斐・美山・美濃の3つ。

高台に出て山手方向を眺めると、揖斐と美山辺りの山並みはうっすら雪を被っているが美濃方面には雪が無いことが判った。

「美濃に決まりだな」日陰の凍結した路面で滑ってケガをするのは御免だから、揖斐や美山方面へ行くのはもう少し暖かくなってからの方が良さそうだ。

 

美濃に向かう時は、岐阜市街地の10km余りを長良川左岸河川敷道路にとるのがいつものルートだが、昨年からの長期工事で通行止めされており今日も走れない。

代替として選んだルートは堤防に沿って続く街中の裏道で、信号なしで走り続けられるのは良いが、ソコソコ車が往来するので絶えず背後に注意する必要があり、小心の小生には疲れる道だ。

「工事よ早く終わってくれ」と切に願わずにはおられない。

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裏道を走ってようやく堤防道路へ出た(岐阜市忠節付近)

長良川に沿って金華山の麓を抜け日野の住宅街を過ぎると、走行ルートは山間の道へと入る。

ハンドルから手を離し上体を起こして深呼吸すれば、清澄な空気が肺胞に満ちて身体の隅々までがリフレッシュされる気分だ。

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長良川に沿って山際の道を行く

ペダルをユックリ廻しながら辺りに視線を投げると、流れゆく景色が映画のワンシーンの様にも見えて、小生の心に何故か郷愁を呼び起こす・・・。

しかし、そんな夢想もトンネルが近付くとたちまち現実に引き戻され長くは続かない。

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r-287に沿って走る自転車道岐阜市芥見付近)

藍川橋を過ぎて道を北東に辿ると、正面に美濃山地の青い山並みが迫ってくる。

今日の予定は、あの手前の山の向こう側に回り込み、山に沿って走って戻ってくる周回ライド。

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美濃山地の山並みの彼方に雪化粧の御岳山が・・・

風は殆ど無く、若干のアップダウンがある道を27~28km/hrのスピードで走っていると上体が汗ばむほどの陽気、時折首元のジッパーを下げて外気で冷やさなければならないほどだ。

今のところ脚は快調に回っており疲労の兆候はないので、予定通りのルートでいけそうと踏んだ。

 

いつもは千疋の橋を長良川右岸側に渡って美濃へと走るが、今日は直進して正面の山を右に巻き、束の間R-156を走って小瀬の鮎之瀬橋を目指す。

この道は、千疋橋を渡る美濃への近道を知らなかった頃にはよく走ったが、もう5年はご無沙汰の小生にとって忘れられた道「そうだそうだ」と記憶を懐かしく辿りながらの走行も案外愉しいものだ。

 

小瀬からは長良川右岸沿いの小道を山崎大橋まで北上、美濃市街は目と鼻の先だが用もないのであっさりスルーと決め左折して百日紅街道に入る。

帰路はこのまま百日紅街道を長良まで走ればいいのだが、車通りの多い道を走り続けるのはやっぱり疲れる。

いつもの様に所どころで間道への迂回を入れ、ゆっくりと風景を愉しみながら走ることにした。

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開通近い東海環状自動車道            武儀川沿いの間道

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百日紅街道(岐阜市雄総付近)

40分ほど走り続けて長良河畔に到着、ベンチにバイクを預けて最後の休憩をとることにした。

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川面を眺めながら長めの休憩

暖かい陽光が少し疲れた身体を包んで、心地よい時間がゆっくりと過ぎていく。

視線を川面に転ずるとカヌー遊びをする2人が・・・やっぱり今日は季節外れの暖かさなのか?

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カヌー遊び面白そう・・・



 

平日だよね?

 

最近、ライド中に突然の倦怠感に襲われることがある。

特に負荷の高い走りをしてないのに、腿に強い疲労を感じたり上腕に酷い脱力を感じ たりするので、そんな時は一旦スピードを落として患部?を休ませ、身体が元の状態 に戻るのを待つしかない。

多分、単なる運動不足による筋力低下が原因だろうと思っているが、自律神経失調症やギランバレー症候群といった疾病が原因ならチョット困る。

もう少し様子を見て同じことが続くなら医者に診てもらう必要があるかも?

 

今日は午後から天候が下り気味との予報なので、遠出は止めて近場の平田リバーサイドプラザに向かうことにした。

いつもの様に周回コース(4km)を7~8周すれば走ったという充足感は得られるし、 空模様が変わっても崩れる前に帰ってこられる。

 

居宅を出てしばらく走ってビル屋上の旗を見上げる。

この旗で風の強さと方向を見るのがいつものルーチンで、今日はダラリと垂れ下がってほゞ無風だと判る。

「OK、バッチリだ」風はローディーの大敵だから風が無いだけで嬉しくなり、ペダルを漕ぐ脚に力が入る。

 

20分ほど走って長良川左岸の堤防道路に出ると、平田リバーサイドプラザまではあと 少し。

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長良川左岸堤防道路(羽島市福寿町付近)

スピードを緩めて辺りの景色を楽しみながら走っていると、背後から2人のローディーが来て素早く抜いていった。

「速いなぁ」感心しながら見送っていると、また2人のローディーが抜いていく。

スピードは35~36km/hrだろうか? 2組に分かれているが走りを見るとどうも4人は連れらしい。

あんな風に一緒に走る仲間がいたら楽しいだろうなぁと、少し羨ましい気持ちが湧いたが、所詮ボッチローディーは独り走りが好きな筈、小生には無理と諦めた。

遠ざかる4人組を眼で追いながらギアを上げて追走モードに入るが、所詮年寄りが若者に勝てる筈も無く差は広がるばかり「こりゃぁダメだぁ」無駄な努力は骨折り損のくたびれ儲けとばかりに、早々に追うのは止めて普段の走りに戻した。

 

するとその直後、100mほど先の脇道から1人のローディーが堤防道路に入ってきた。

冬場なのに七分丈のレーパンを履いている処を見ると走り屋か?と観察しながら近付くと、その気配に気付いて振り向いた彼はそのままスピードを上げた。

平田リバーサイドプラザへの分岐はこの先だが、彼が何処へいくのか興味が湧いたので「チョットばかり付いて行ってみよう」と少し遅れて小生もスピードを上げた。

スピードは30km/hrほどなので無理なく付かず離れずの距離を保って追っていける。

この先はT字路で、右に折れれば木曽長良背割堤、左に行けば木曽川右岸沿いを馬飼 大橋へと戻る道だ。

「やっぱり背割堤だろうな」と考えながらなおも追尾していくと、案の定T字路を右 に折れた。

「終わりだな」今日は背割堤を走る気はないので追尾はこれまでとし、来た道を平田 リバーサイドプラザへの分岐まで引き返すことにした。

それにしても、この堤防道路の5kmほどの区間で、5人の若者ローディーに出くわすのは珍しい。

休日なら大いにありうるが平日にはあまりない事だけに、何か良い事の前触れであったらいいなぁと、迷信など信じない小生だが都合よく思った・・・。

 

長良川にかかる南濃大橋を右岸側に渡った所が、平田リバーサイドプラザで河川敷に 設けられた運動公園だ。

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南濃大橋から見る平田リバーサイドプラザ

芝生広場のベンチで10分ほど休憩をとって脚の疲れを癒したあと、1周4kmコースの 周回走行に入る。

1周目は慣らし走行として25~26km/hrに抑えて走り、2周目以降はスピードを30km/hr前後に上げて周回を繰り返すのがここを走る時のいつものパターン。

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南北に細長い周回コース

今日は風が無いのでスピードの維持が普段より楽だったがそれも前半まで、5周目が 終わる頃から脚に疲労が溜まってチョット苦しくなってきた。

「どうするかなぁ」あと1周は多分持ちそうだから「7周目は出来るだけ我慢して走り、8周目はクーリング走行にしよう」と自分に甘い裁定を下すことになった。

 

苦しいながらも何とか8周回を走り切り、芝生広場のベンチで疲れを癒しながら暫し 沈思黙考。

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平日の芝生広場には誰もいない・・・

「やっぱり筋力が落ちたのは間違いないなぁ」「筋トレ必要かも?」「歳を考えれば 相応じゃないの?」等々思いは尽きない。

ふと我に返り上天を見上げると、雲が多く日差しも無くなってきたので、長居は無用と帰ることにした。

 

帰り道、前から気になっていた「大須観音の古里」という看板のある真福寺に寄って みる。

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静かな佇まいを見せる真福寺大須観音

今は観音堂だけの小さなお寺だが、説明書きによれば、室町時代には寺領1万石・真言寺院335末寺を束ねる本山として大伽藍を擁し隆盛を極めた寺だったらしい。

しかし時代が下って江戸初期、戦乱や水害などで衰微荒廃した寺に貴重な古文書(日本最古の古事記写本等)があることを知った徳川家康が、寺ごと名古屋城下に移転させたのが今に繋がる名古屋の大須観音の始まりということであった。

「なるほど、だから大須観音の古里という訳か」と納得した。

現在の寺は、元の寺が移転後に村民が昔をしのんで建立したもので、その小さな佇まいが往時の村民の願いを偲ばせる。

昔を夢想する様に寺社を眺めていると、脇に立つ円空仏が優しく微笑んだ・・・。

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護法神像                  善女龍王

 

 

 

サイクルトレイン

 

昨日外出から戻ると、会社勤めをしていた頃の知人から封書が届いていた。

永らく疎遠にしており「何だろう?」と思い早速開封すると、随分昔に退職した共通の知人の連絡先等を知っていれば教えて欲しいとの内容だった。

古い情報と前置きして詳細を伝えることにしたが、果たして役に立つかどうか・・・。

小生はあまり社交性が高い方ではないので、会社勤めをしていた頃はそれなりに友人も居たが、会社を離れると一気に人付き合いの頻度が減り、今では同期や旧友との年数回の飲み会(昨年はCOVID-19でそれも無しだったが)で旧交を温めるばかりである。

まぁ、だからと言って寂しさが募る訳じゃ無いから別に良いんだけど・・・。

 

さて、今日の行先は多度大社。

木曽三川公園からチョット足を延ばした先の多度山麓にある、上げ馬神事の祭礼で有名な神社だ。

桑名方面へライドする時は近くを通ってもスルーすることが多いが、年初でもあり珠には参拝してみるのも良いかなと思った次第で、距離的にも往復70kmほどで丁度良い。

まずは居宅近くのポストに知人宛て封書を投函し、一仕事?終えた安堵感に浸りながら出発する。

 

風は北寄りの微風で日中は気温も上がるとの予報なのでまずまずのライド日和だ。

街中を抜けて羽島へ向かう道に入ると、脚も回る様になって軽快にバイクが進み、徐々に気持ちも高揚してくる。

「よーし脚も軽く快調!」と呟いて橋を渡り加速しようと前方を覗うと、停車した車の長い列とその先の赤い点滅が目に入ってきた。

「事故か?」車列の横をすり抜けて先に進み、事故現場を横に見ながら停まることなく通り過ぎる。

どうやら車4台が絡む事故の様で、救急車も停まっていたから怪我人も居る様だった。

事故発生からそれほど経ってない「と云うことは封書の投函で寄り道してなければ?」ひょっとしたら事故に巻き込まれていたかもとの変な考えが浮かんで消えた。

世の出来事の多くが偶然の集積の結果とすれば、これを幸運と呼ぶべきかどうかは判断に迷う処だろう。

「まぁ周りに注意して走ることだな」と注意散漫になりがちな自分を戒める言葉を独り呟いた。

 

長良川左岸堤防道路に出て広い視界の道を南に向かって走る。

右手養老山地の青い山並みの向こうに顔を出す鈴鹿山脈の白い稜線が綺麗だ。

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長良川堤防道路から養老山地を望む

あれは藤原岳から御池岳へと続く稜線の連なりだろうか?

昔、残雪期にあの稜線を単独行した時の残影が、モノクロ映画の様に脳裏に浮かんでは消えた。

思えばあの頃から独りでの山行きが増えていった。

若気の至りと言うしかない無謀な山行(危うく遭難しかけた)もあったが、それも今では懐かしい思い出の一コマだ。

 

周囲の風景を楽しみながら軽快に走って木曽長良背割堤までやってきた。

ここからの10kmはほゞ自転車専用道みたいなもの、車を意識しない自由な走りを満喫できるから好きだ。

鼻歌交じりにバイクを駆ること数分、と前方にローディーの後姿があるのに気付く。

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背割堤には前走するローディーが

追うとも無く走って滑空場横で並んだので、すかさず「どちらまで」と声をかけると、意外にも返ってきたのは女性が発する「多度大社です」の聲。

後姿から少し華奢めな青年と思っていただけに少し動揺したが、それは噯にも出さず「一緒ですね」とまた返した。

それから10分余り幾つかの話題を語らいながら並走したが、これ以上長い同行は相手の迷惑だろうと心得て「それじゃお先に」と挨拶して先を急ぐことにした。

最近は女性のボッチローディーをちょくちょく見かける様になったが、それが良い事なのかどうか、古い価値観に縛られている小生には能く判らない・・・。

 

木曽三川公園展望タワーの横を抜けて山に向かって油島大橋を渡れば、多度大社までは残り4kmほど、養老鉄道の踏切を越え古い街並みの残る参道を西に詰めると10分余りで境内前に到着した。

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油島大橋を超えて進む
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 多度大社               本宮へ続く参道

参集殿の横にバイクを預け、手水舎で身を清めた後鳥居をくぐって拝殿へと向かう。

山懐深く抱かれた本宮への砂利敷を独り静かに歩んでいくと、徐々に心が澄明になっていく様な気がするのは何故だろう。

木立に囲まれ静寂な雰囲気を醸す本宮の祭神は天津彦根命天照大神の子神)

浅学菲才の小生だから何にご利益がある神様か知らないが、今の願いは離れて暮らす 2人の娘家族の無事「災禍に遭わず健康で暮らせる様に」とお願いした。

 

参拝を終えて砂利敷を中ほどまで戻って来た時、前方に背割堤で別れた女性ローディーの姿を認めたので「おっ結構早い到着だな」と思いながら視線を送ると、彼女も小生に気付いたらしく笑顔を返してきた。

互いに足を止めて二言三言の言葉を交わして「それじゃぁまたどこかで」と言って別れたが、多分そんな偶然は勿論無いだろう・・・。

 

さて帰路だが、当初は往路をそのまま戻るルートを想定していたが、あまり面白くないので変更する事にした。

代案は兼ねてやりたいと思っていた養老鉄道サイクルトレインでの輪行

ほんの思い付きなので、細かなことは駅で決めることにして最寄りの多度駅に向かって参道を走る。

 

駅に着いて時刻表を見ると直近は12:19発、20分の余裕があるのでどこまで乗るかをGoogleMapで調べると駒野駅までが良さそうだと分かった。

距離11km、乗車時間17分のミニ輪行という訳だ。

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 養老鉄道多度駅            ホームで電車を待つ

サイクルトレイン乗車口でバイクのトップチューブに腰掛け待つこと数分、定刻通りに電車が来た。     

養老鉄道サイクルトレインは、バイクをそのまま載せるヨーロッパ方式だから輪行袋は不要、しかも運賃は人の乗車賃だけだから使い勝手が良い。

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2両目に乗車              バイク毎座席へ

乗車して車内を見廻しサイクルスタンドを探すが何処にも無く、どうやら座席の前で手で支えろという事と合点した。

乗客は小生を含めて4人、多分日中の乗客数は少ないので自転車が座席の前にあっても問題は無いのだろう。   

列車はソコソコのスピードで走るが3~4分で次の駅に着いて停まるので、押し並べるとバイクで走るスピードと変わらないというのが実感だ。

 列車の揺れと窓越しの暖かい日差しについ瞼が下がってしまった頃、駒野駅に到着のアナウンスが耳に届く。

「おっと危うく乗り過ごす処だった」忘れ物が無いことを確認して列車を降りた。

 

ここからは揖斐川沿いを今尾橋まで走り、輪之内⇒安八⇒墨俣と走り慣れた間道を辿れば1時間チョットで居宅に着ける筈だ。

駅頭で身支度を整えて走り出すと、何だか脚が重く感じる。

どうも休み過ぎた様だ・・・。